Please Please Me

(1963, cover art photograph by Angus McBean)
「The Beatles」の1963年のデビューアルバム「Please Please Me」を紹介するアルバムカバーの写真は、Angus McBeanによって撮影されました。その決定はGeorge Martinが下しました。当時、彼はバンドのレコードプロデューサーであるだけでなく、Parlophone Recordsの責任者でもありました。(MartinとMcBeanは以前にもいくつかのコメディレコードのカバーで一緒に仕事をしていました。)写真撮影は当初、ロンドン動物園の昆虫館の外で計画されていました。しかし、動物園はこのアイデアを拒否し、結果的にロンドンのManchester SquareにあるEMIハウスが撮影地として選ばれ、1963年3月5日に撮影が行われました。同日、バンドは「From Me to You」をレコーディングしました。
カバーアートに採用されたショットは、数階上のバルコニーからMcBeanに向かってにっこりと笑っている若々しいFab Fourの表情が印象的です。
「私は普通のポートレートレンズしか持っていなかったので、その写真を撮るためには、エントランスで仰向けに寝なければなりませんでした。いくつかのショットを撮って、『これだ!』と言いました。」_Angus McBean
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With the Beatles

(1963, cover art photograph by Robert Freeman)
彼らの初のLPは、彼らの初めての成功を最大限に活用するために急いでリリースされましたが、続編、「With The Beatles」が1963年11月22日にリリースされたとき(ケネディ大統領暗殺事件と同日)、ザ・ビートルズが一時的な人気ではないことが明らかになってきました。
友人のAstrid Kirchherrの写真からインスピレーションを受け取ったRobert Freemanは、アルバムカバーをスタジオではなく、The Beatlesがツアー中だったPalace Court Hotel、Bournemouthの廊下で撮影しました。
1963年8月22日に行われた撮影についてのエピソード。「Freemanはホテルの廊下の隅のほう、11時頃に1時間くらい自然光が差し込む小窓を見つけたんだよ。彼は私たちに、『前に座って、そこに…』と言ったんだよ。」_Paul McCartney
その結果、とても印象的な画が生まれました。
同じ髪型とポロシャツを着た4人の若者が、白黒の半光で、笑顔を浮かべずに映っています。これはポップカルチャーにとって斬新なスタイルでした。
「この写真は、僕たちがThe Beatlesのアートワークに積極的に関与するきっかけとなった。」_George Harrison
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A Hard Day’s Night

(1964, cover art photograph by Robert Freeman)
彼らの前のLPと同様に、1964年の「A Hard Day’s Night」(The Beatlesの初の長編映画に付随するアルバム)のカバーアートは、同じポロネックと髪型をした各Beatleの白黒の肖像で構成されています。ただし、今回は彼らがカメラに向かってさまざまな表情をする姿が強調されています。20の肖像(Georgeの後ろ姿を1つ含む)は再びRobert Freemanによって撮影されましたが、今回は撮影は写真家のロンドンのスタジオで行われました。
この頃になると、The Fab FourはFreemanと友人になっていました。彼とLennonは同じアパートのブロックに住んでいました。
「The Beatlesと一緒にいるということは、狂気の中心、ハリケーンの目の中にいるようなものでした…それはとても賑やかで楽しい時期でした。」_Robert Freeman
フィルムのリールのように見えるようにデザインされたスリーブのデザインは、個々のバンドメンバーがジャーナリストの質問や写真家のフラッシュに包囲されるシーンを表現しています。
Listen to A Hard Day’s Night here.

Beatles For Sale

(1964, cover art photograph by Robert Freeman)
1964年10月、ロンドンのハイドパークでRobert Freemanによって撮影された「Beatles For Sale」のアルバムカバーは、笑顔がなく、またほぼ同じ服装をした疲れた様子のロックンロールバンドを示しています。
「僕らはいつも同じような服を着ていたから、写真家はいつも『普段通りの格好で。』と言ってたよ。」_Paul McCartney
Listen to Beatles For Sale here.

Help!

(1965, cover art photograph by Robert Freeman)
1965年の「Help!」は、彼らの2作目の映画に合わせてリリースされました。
このアルバムのアルバムカバーには、映画からのスノースーツの衣装を再現し、旗信号で遭難信号のように見えるものを送っているリバプールのバンドが写っています。
写真家のRobert Freemanは当初、少年たちがH-E-L-Pの文字を旗で示すように撮影する予定でしたが、最終的にはこの計画を放棄し、グラフィックとしてよく機能する配置を採用しました。
1965年までに、Freemanは事実上、Beatlesの公式写真家となり、彼らのアルバムカバーを5枚撮影し、Beatlemaniaの年代中に彼らの最も愛されているいくつかの写真セッションも手掛けました。
彼の2019年11月の死に際して、Paul McCartneyは次のように述べました。
「彼はThe Beatlesの時代に私たちのお気に入りの写真家の一人であり、私たちの最も象徴的なアルバムカバーのいくつかを考え出してくれました。彼は優れたプロフェッショナルであると同時に、独自の思考を持つ想像力に富んだ人物でした。」_Paul McCartney

Rubber Soul

(1965, cover art photograph by Robert Freeman)
The Beatlesの1965年の2枚目のアルバムは、音楽的には「Nowhere Man」や「Norwegian Wood」のような曲を含む、それまでのものとは最も異なるものでした。
カバーアートもその実験性を反映していました。まず、アルバムアートにはバンドの名前が表示されず、タイトル「Rubber Soul」の下でリスナーに向かって歪んでのぞく4人の顔だけが描かれていました。
「 “Rubber Soul” のタイトルはPaulのアイデアだった」_John Lennon
特徴的なタイポグラフィは、数多くのBeatlesの作品と同じように、時代の先を行っていました。一年も経たないうちに、そのスタイルはサイケデリックなポスターアートの主流となりました。
伸ばされた効果は純粋な偶然から生まれました。
「WeybridgeにあるJohnの家でいくつかの写真を撮影したんだ。」_Paul McCartney
ロンドンに戻ったFreemanは、アルバムサイズのカードに撮影した写真を投影してビートルズのメンバーと確認していました。
この確認作業中、カードが少し後ろに倒れ少し歪んで写真が投影された一瞬をメンバーは見逃しませんでした。
「僕らは、『これだよ!Rubber So-o-oul!やったね! これをカバーにできる?』と聞いたんだ。彼は、『ええ、そのように印刷することならできますよ。』と答えたんだ。それがこうなったんだよ。」_Paul McCartney

Revolver

(1966, illustrated by Klaus Voormann)
The Beatlesの前の5枚のレコードカバーをデザインしてきたRobert Freemanは、1966年の「Revolver」のための写真コラージュデザインを提案していました。しかし、これは、ハンブルクの古い友人であるKlaus Voormannによるイラストに変更されました。1966年の夏にロンドンのV&A博物館で大勢の人々を魅了したイラストレーターAubrey Beardsleyの展示に触発されたのかもしれません(Beardsleyは「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」のカバーに登場します)、アルバムカバーにはThe Beatlesの線画と切り取られた写真が特徴として描かれています。
VoormannはMojoのMartin O’Gormanのインタビューで『彼らがとても前衛的であったので、カバーも同じことをしなければならないと思った。デザインを通常よりもさらに進めたかった』と語っています。Voormannが完成したカバーアートをビートルズのメンバー、プロデューサーのGeorge Martin、そしてマネージャーのBrian Epsteinに提示したとき、最初は静かな反応が返ってきました。しかし、すぐに彼らがそれを気に入っていることが明らかになりました。EpsteinはVoormannに言いました:「Klaus、これはまさに私たちが必要としていたものだ。うまくいかないのではないかと心配していたが、今、このカバー、このLPがうまくいくことを確信した。ありがとう。」

Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band

(1967, designed by Peter Blake and Jann Haworth; cover art photograph by Michael Cooper)
1967年の「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」は、サイケデリックよりも懐古的で、ユニフォームを着たBeatlesが60以上の実物大の写真のモンタージュを前面に配し、友人、ヒーロー、アイコンを代表するものとともに、彼ら自身のMop Topの蝋人形と並んでいました。
「僕たちは、アルバムカバーを見て、すべての人々を調べ、裏表紙のすべての言葉を読むようにしたかった」_Paul McCartney
The Beatlesは、アーティストのPeter BlakeとJann Haworthにデザインをまとめるよう依頼しました。これまでに作られた最も称賛されるアルバムカバーはデザインの革命であり、パッケージ自体が特にポップアートのレベルまで引き上げられました。
「Sgt. Pepperは特別なアルバムだったよ。ドレスアップして、みんなが “Peppers” になりたかった。ちょうどFlower Powerが特に活発になってきた時期だった。愛と平和がテーマだった。それは自分と世界にとって素晴らしい時期だったよ」_Ringo Starr
Listen to Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band here.

Magical Mystery Tour

(1967, designed by John Van Hamersveld)
英国ではテレビ用映画のためのダブルEPとしてリリースされ、代わりにブックレットが付属していた1967年のUS版「Magical Mystery Tour」(LP)が、彼らのアルバムカタログのうち唯一のUSリリースとなっています。
カバーアートは、映画の中の「I Am the Walrus」の衣装を着た彼らの姿を示しています(「Glass Onion」という曲でJohn Lennonが書いたこととは逆に、映画の中でウォーラスはJohnで、Paulはカバでした)。これは、グループのメンバーの顔が一切登場しないBeatlesの最初のアルバムカバーでした。
曲「I Am the Walrus」について、JohnはLewis Carrollの詩「The Walrus and the Carpenter」からインスピレーションを得ていました。
「『不思議の国のアリス』の「セイウチと大工」は僕にとってはとても美しい詩だった。Lewis Carrollが資本家や社会構造について言及していたとは予想だにしてなかったけどね。」と、Johnは1980年のPlayboy誌で語っています。「でも後になって実はセイウチが悪人で、大工が善人だということに気がついて「しまった!」と思った。僕は「セイウチ」ではなく「大工」になるべきだった。’I Am The Carpenter’(俺は大工)でもそんなに違和感はないだろう?」
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The Beatles (The White Album)

(1968, designed by Richard Hamilton)
“The White Album” の「非常にミニマル」なカバーアートは、「前作のアートワークの対極にあるようなイメージを作りたい」というメンバーの想いが反映されています。
アイディアを具現化させるため、ポップアートの先駆者の一人であるRichard Hamiltonにカバーアートのデザインを依頼しました。
このアルバムのブックレットには、John Kellyによる4枚のポートレートや、Paulがアシスタントとして活動する中、Hamiltonが作成したコラージュポスターも含まれていました。
初版には個別の番号が付けられ、限定版のアートワークや詩の本のエディションを思わせるようなデザインになっていました。
2015年に、Ringo Starrが所有していたNo.0000001*は、オークションで$790,000で落札され、世界で最も高価なレコードとなりました。
*映像版アンソロジーでのマッカートニーの発言によれば、レノンが通し番号「No.0000001」を所有していたとされる。ちなみにマッカートニーは「No.0000003」を所有している。

Yellow Submarine

(1969, director George Dunning and illustrator Heinz Edelmann)
1968年のアニメーション映画「Yellow Submarine」のサウンドトラックアルバムは、レコードの片面のみにビートルズの楽曲が収録されたアルバムで、ビートルズのアルバムカタログの中でも特にユニークな作品として知られています。実際、LP全体には新しいビートルズの曲がわずか4曲しかありません。
収録された楽曲は、前作よりも前にレコーディング・セッションが行われていましたが、発売は前作『The White Album』のリリースからわずか2か月後のことでした。
多くのファンから愛されているサイケデリックでアイコニックなキャラクターアニメーションは、イラストレーターのHeinz Edelmannによって描かれました。
「Yellow Submarineは大好きだ」_Ringo Starr
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Abbey Road

(1969, cover art photograph by Iain Macmillan)
1969年の夏に完成された「Abbey Road」は、ビートルズがレコーディングした最後のアルバムとなりました。
当初、「Everest」(エンジニアのGeoff Emerickのたばこのブランドにちなんで)というタイトルでアルバムプロジェクトは計画されていたことが知られています。
しかし、その後当初のアイデアは却下され、EMIのスタジオが位置している通りの名前である「Abbey Road」をアルバムタイトルにして、スタジオ正面のドアからメンバーが1人ずつ出て行くという、ほぼ正反対のアイデアを採用することが決められました。
撮影は1969年8月8日の朝に行われ、世界で最も有名な横断歩道を生み出しました。

Let It Be

(1970, cover art photograph by Ethan Russell)
「Let It Be」はビートルズが録音する最後のアルバムではありませんでしたが、リリースのために最終的に編集されたとき、このバンドはすでに歴史の一部となっていました。初回盤は特定の地域で豪華なボックスセットの一部として発売され、Ethan Russellの写真が収められた豪華な本が付属していました。
アルバムのカバーには、黒い背景に対して、個別のボックスで撮影されたメンバーの肖像が均等に配したものが採用されました。
しかし、これは当初の計画とは異なるものでした。
本来のアイデアでは、アルバムを「Get Back」として、デビューアルバム「Please Please Me」のカバーアートを模倣する形でリリース予定でした。
写真家のAngus McBeanも1963年の写真をコピーするために呼び戻されましたが、最終的にこのアイデアは実現されませんでした。
なぜ却下されたのか、その理由は時の中に失われてしまったようですが、この時撮影された写真は「The Beatles 1967 – 1970(青盤)」のカバーアートとして有名です。
「ところで、僕が提案した、最初のアルバムのカバーのパロディを「Let It Be」のカバーにするアイディアはどうなったの?」_John Lennon
(1971年のMelody Maker誌でのポール・マッカートニー宛ての公開書簡より)